
講師紹介
家庭教師のスピカは
全員 女性講師です。
代表のサトウ先生と、面談・テスト・研修をした女性講師が
丁寧に優しく、時には厳しく、
お子様の学習をサポートいたします。

代表ご紹介

初めまして!
家庭 教師のスピカ代表の佐藤容子と申します。
自然に触れ合うことが好きで、海や山によく足を運んでいます。




静岡市駒形小学校が地元です。
静岡県静岡市で生まれ、育ちました。
静岡市駒形小学校、安倍川中学校が地元です。
地元は安倍川橋の近くです。
小さい頃は、よく安倍川の河川敷で友人と遊んでいました。
15年間続けた習い事は10種以上
初めての習い事は3歳の時。ヤマハのピアノ教室に通っていました。
(18歳までの15年間習い続けていました。)



小学生の頃からたくさんの塾に
通いました。
母親が教育熱心だった為、小学校に上がると同時に公文教室、学研等の集団塾で勉強を開始し、
そろばん教室には小学3年生~6年生の4年間通っていました。
小学校5.6年生の時は、国語専門塾へ。
小学校5年生~高校卒業までは英語専門の塾へ…と沢山の塾に通って(通わされて)いましたが、特に不満もなく、言われるがままに決められた塾に通っていました。
今思うと、特に勉強が「嫌い」でなかった為、不満も抱かなかったのだと思います。

小学生の時、一時期不登校でした。
ちなみに、小学校1年生の時、不登校でした。理由は、かなりの偏食化で「学校の給食を食べたくない」ことでした。
私が小学校に通っていたころ、食べ追わるまで「席を立ってはいけない。」決まりがありました。一人で掃除の時間中も、給食を食べされられるのが苦痛で苦痛で…。泣きながら通学拒否した事を覚えています。
英語の基礎を叩き込まれました
小学校5年生の時から通っていた英語塾には、今でも感謝をしております。
非常に厳しい塾で(宿題をやらない、開始時間 に遅刻をすると部屋に入れてもらえず、個室で永遠と単語を書かされていました。)、毎回英語の単語テストを実施し、8割到達しないと1Pノートを3ページ追加で宿題を出される為、毎回必死で単語覚えに勤しんでいました。
また、英検受験は強制で、落ちると怒られるため、おかげで中学3年生6月の時点で、英検3級を取得。高校2年生の時には、2級を取得することができました。

家庭教師の先生から
「勉強って楽しい!」こと、
そのほか多くのことを学びました。
秀英予備校にも通いました(^^
ですが、集団塾は宿題の有無の確認が甘く、また幼い頃から沢山の塾に通ってはいたものの、あくまでも「行かされている」という受け身の気持ちで取り組んでいたため、得意の数学、英語は8割以上は取れていたものの、気持ちの乗らない他の3教科は軒並み平均点程。
そこで、最後に親が用意したのが家庭教師でした。

先生は静岡大学の大学院生でありながら、一度教員としての就職経験もあるため、指導方法はまさにプロ。
けれど学生らしい親しみやすさも持っていて、長女の私にとっては「素敵なお姉さんができた!」と感じられる存在でした。家庭教師の日が来るのが、いつも待ち遠しかったのを覚えています。
陸上部に所属していた先生は全国大会にも出場した経験があり、まさに文武両道!
それまで体育の授業が嫌いだった私も、先生の影響で運動の楽しさに気づき、
自然と前向きになっていきました。
勉強に対しても、先生の姿は大きな刺激になりました。
あるとき古文の授業をした後に、先生が「ようこちゃんの授業で古文が楽しくなったから、最近は古文の本を読み始めたよ!」とニコニコしながら話してくれたことがあります。勉強を楽しそうに取り組む先生の姿に触れるうちに、私の中でも「勉強って本当は楽しいものなのかもしれない」という意識の変化が起こっていったのです。
それまでは勉強といえば堅苦しく、無理やりやらされるものだと思っていました。けれど先生と過ごす時間を通して、「学ぶって楽しい」「自分からやりたいと思えるものなんだ」と価値観が大きく変わりました。
さらに、先生のおすすめの本を貸してもらったことがきっかけで、私は読書にも親しむようになりました。
よしもとばなな、さくらももこ、遠藤周作、森鴎外……。これまで触れることのなかった作家さんたちの世界を知り、読書の楽しみがどんどん広がっていきました。
新しい世界の扉を開いてくれたのも、やはり先生のおかげだと思います。
内申1があった中での高校受験
高校を決めるとき、私の第一希望は静岡市立高校でした。
成績的には十分届く位置にいたのですが、問題は5教科以外。美術と家庭科が内申「2」、さらに中学3年の7月には美術がまさかの「1」!(理由を聞くと「作品の評価」だそうです…)
その結果、学校からは「公立高校は無理」と太鼓判を押されてしまい、大きな不安と焦りに襲われました。
それでも「市高が無理なら、せめて城北高校には入りたい」と思い直し、内申点でのマイナスを跳ね返すべく、当日のテストで勝負するしかないと覚悟を決めました。
しかし、親にも担任の先生にも「絶対に無理だ」と反対され、願書にサインすらもらえませんでした。それでも諦めきれず、「悪いことはしないから、とりあえずこれにサインをしてほしい」と祖母に頼み込み、ついに願書にサインをしてもらったのです。
そして、城北高校に無事合格!


決して威張れる事ではありませんが、内申2が2つもある中、城北高校に合格できた事は奇跡であり、受験自体無謀です。家庭教師を生業にしている私でも、自分の生徒さんにはオススメする選択ではありません。
勉強だけじゃない!
運動も大好きでした

高校入学後、急に芽生えた運動への情熱が結果となって現れました。
スポーツテストの成績は、中学時代の「5級」から一気に「2級」へ。その後さらに力を伸ばし、ついには「1級」を獲得。最後には選抜リレーのアンカーを任されるまでになりました。
ここまで成長できたのは、中学3年生の頃から指導してくださった家庭教師の先生のおかげです。授業の前後に筋トレやマラソン、陸上のフォーム修正まで丁寧に見てくださり、学習指導を超えて多方面でサポートしていただきました。
この先生からは、勉強だけでなくスポーツの楽しさまでも教えていただきました。まさに「学ぶこと」「挑戦すること」の両方を支えてくれた、大きな存在だったと思います。
家庭教師のアルバイトをスタート!

管理栄養士を目指して大学に進学!大学の頃、バイトを探している私に対し、母が急に「家庭教師をやってみたら?」と勧めてきました。まさか自分が「家庭教師」なんて職業をやろうとは、思いもしない事でした。
初めての家庭教師は中学1年生の子を担当。
全くの未経験での開始でしたが、中学時代に優秀とは言い難く、勉強に四苦八苦していた私。その経験が武器となり、「子供たちがどこがわからないのか、どういった所で躓きやすいのか?」が手に取るように解り、子供の気持ちに寄り添える指導が行える事が喜びとなり、楽しみの一つにもなりました。
また、沢山の塾に通わせてもらった事も良かったと思います。「この塾のこういった指導がわかり易かった。」「あちらの塾の教え方はあまり解らなかったな・・」なんて昔の事を思いだしながら、指導を行っています。
沢山の色々な経験が、生徒さん一人一人に合うやり方を考える家庭教師という仕事にとても役に立っています。
卒業後、一般企業に就職しました。

大学卒業後、管理栄養士として病院に勤務し、調理や献立作成・発注、栄養指導に加え、シフト作成や職員指導まで幅広い業務を経験しました。
その一方で、知人からのご依頼で口コミのみの家庭教師を始め、後に家庭教師センターにも登録して指導を続けてきました。
やがて、家庭教師という仕事に大きなやりがいを感じるようになり、家庭教師センターの「プロ家庭教師」試験に合格。企業に所属するプロ家庭教師として、
数多くの受験生を担当するようになりました。
しかしその中で、受験直前のご家庭が不安を抱える時期に、必要以上に高額な問題集が販売される姿に強い疑問を感じました。しかも、担当していた講師である私が知らぬ間に販売が進められていたこともあり、衝撃を受けました。
「本当に必要な学びを届けたい」「ご家庭に不要な負担をかけず、一人ひとりに合ったサポートをしたい」という想いから、独立を決意しました。
こうして立ち上げたのが「家庭教師のスピカ(旧サトウ)」です。
ゼロから始めた家庭教師スピカ誕生記
それこそ仕事を終えてから深夜まで、毎日夜中の2時まで作業を続けました。
本を調べたり、ネットで作り方を検索したり、まさに手探り状態。それでも「静岡市 家庭教師」で検索しても、ようやく3ページ目に表示される程度。
思うような集客にはつながらず、「これ以上は一人では無理だ」と痛感しました。 無理を続けたせいで体調を崩し、病院に行ったところ「過労」と診断されてしまったこともあります。
けれどそれでも「どうしても家庭教師を軌道に乗せたい」という気持ちが勝り、諦めることはできませんでした。
そこで、市内のあらゆるパソコン会社に片っ端から電話をかけ、ようやく話を聞いてくれる一社に出会います。予算の都合もあり、サイト制作を丸投げすることはできませんでしたが、その会社からプログラミングを直接指導してもらえることになりました。
試行錯誤を重ねながら、その知識を活かして改良を続けた結果、少しずつ検索順位も上がり、ついに集客へとつながっていったのです。
大事にしていること
私が指導で大切にしているのは、単に目先の点数を上げることではなく、「勉強のやり方」を身につけてもらうことです。
中学生の間にすぐ結果が出なかったとしても、将来社会人になったときに「ああ、あの時に学んだやり方を実践すれば結果が出せる」と思えるきっかけを残したい。そう考えて日々授業をしています。
実際、初代の生徒さんが卒業するときに、
お母様から「先生はこの子の人生のターニングポイントでした」と言っていただいたことがあります。
おこがましいですが、その言葉を胸に刻み、これからも一人ひとりの人生に寄り添える指導を続けていきたいと思っています。
東海若手起業塾
最終審査まで選ばれました♪

現在は、お菓子作りから
アウトドアスポーツまで
趣味が豊富です。

