法隆寺が問いかける ― あなたは、これからの20年で何を残しますか?
- u1901u
- 10月5日
- 読了時間: 4分
こんにちは♪
個別指導対応!静岡市の家庭教師スピカの佐藤です。
今回は、先日行ってきた奈良旅行についてです。
奈良といえば東大寺や興福寺を思い浮かべる方も多いと思います。
私もいくつかの寺院をめぐりましたが、その中でひときわ印象に残ったのが法隆寺でした。 今回の案内をしてくださった方は、なんと80代。にもかかわらず、約2時間ものあいだ一緒に歩きながら、法隆寺の歴史や建築の話を丁寧に語ってくださいました。
途中で立ち止まっては、
「この柱の木目を見てください」
「ここに徳川の紋が残っていますよ」と目を輝かせながら説明してくださる姿に、ただ知識を伝えるだけではなく、法隆寺を心から大切に思う気持ちがにじみ出ていました。
思わず「すごいですね」と声をかけると、「そうでしょう、そうでしょう」と無邪気な笑顔で返してくれたガイドさん。その一瞬に、胸がキュンとしてしまいました。

重厚な空気に包まれて
東大寺の大仏殿が開放的で伸びやかな雰囲気なのに対し、法隆寺はどこか空気が重々しく、静かに圧をかけてくるような存在感を放っていました。
1300年以上の時を超えて立ち続ける伽藍には、積み重なった年月そのものが染み込んでいるのかもしれません。歩いているだけで、背筋が自然と伸びるような気がしました。

案内人さんの話 ― 学びから始まった20年
境内を歩いているとき、案内人の方からこんなお話を聞きました。
「法隆寺を作ろうとした聖徳太子は、まず外国に人を送り、建築の技術だけでなく“法”や制度まで学ばせたんですよ。そして学びの時間も含めれば、完成までに20年ほどかかったんです」
史実では601年に造営が始まり、607年に完成したと伝えられています。
工事自体はわずか6年。けれど、学び始めから完成までを考えれば「20年」という表現も頷けます。単なる外国の模倣ではなく、日本独自の工夫を加えて形にしたのだと思うと、当時の進取の気概に感動します。

世界最古を支える檜の力
法隆寺の伽藍を支えているのは、日本が誇る建材「檜(ひのき)」です。
五重塔の心柱には、樹齢2000年を超える檜が使われており、建築の年代に伐採されたと確認されています。軽くて強く、防虫性も高い檜は、まさに奇跡の素材。
修理の際には吉野檜や木曽檜といった国産材が基本ですが、資源の限界から台湾檜や北米産檜を用いることもあるそうです。それでも「できる限り国産にこだわる」という宮大工の誇りが、世界最古の木造建築を今に伝えているのです。
屋根に残る徳川の紋
そしてもうひとつ驚いたのは、法隆寺の屋根の上に徳川家の三つ葉葵の紋があること。
江戸時代、幕府が修理や維持を担った証として残されたのだそうです。飛鳥の時代から江戸時代、そして現代へ。法隆寺はまさに「歴史の積層」を体現している建物だと感じました。
法隆寺の火災と文化財保護法
案内人の方は「昔は文化財の保存に関する法律は今ほど厳しくなかった」とも話していました。実際、1949年に金堂で火災があり、修理中の不注意から国宝の壁画の大部分が焼失してしまう大事件が起きました。
この出来事は日本中に衝撃を与え、「国宝でさえ守れないのか」と議論を呼びました。そして翌1950年、従来の法律を改正し、現在の文化財保護法が制定されます。以降、重要文化財や国宝の修理・管理体制は飛躍的に厳格化され、今日の保存体制へとつながっていきました。
法隆寺は、過去の痛ましい経験から学び、守られてきた存在でもあるのです。
現代への問いかけ
案内人さんが最後に語っていた言葉が心に残っています。「昔は学びを活かして20年でこれだけのものを作り上げた。でも今の日本は、20年経ってもそう大きくは変わっていないかもしれませんね」
少し厳しい言葉ですが、法隆寺の姿を目の前にすると重みを増して響いてきます。先人たちの「学びを形にする力」に触れ、私自身もこれからの20年をどう生きるのか考えさせられました。

おわりに
法隆寺は単なる観光地ではなく、学びと挑戦、そして時代ごとの守りの中で受け継がれてきた世界遺産でした。
重厚な空気に包まれた伽藍を歩いていると、歴史を超えて今の私たちに問いかけてくるものがあります。
「あなたは、これからの20年で何を残しますか?」